因島村上氏

いんのしま むらかみ し

 三島村上氏の一角として本拠の備後因島を中心に瀬戸内海を支配した海賊衆。戦国期、小早川氏と結んで毛利方水軍の一翼を構成した。史料上の初見は応永三十四年(1427)十二月で、村上備中入道が将軍・足利義持から御内書を与えられている。

因島村上氏の菩提寺、金蓮寺に残る因島村上氏の墓塔群。多数の宝篋印塔、五輪塔が安置されている。
因島村上氏の菩提寺、金蓮寺に残る因島村上氏の墓塔群。多数の宝篋印塔、五輪塔が安置されている。

 因島進出当初は主家と仰ぐ伊予河野氏の影響力が強かったが、15世紀後半には備後守護・山名氏の影響下に入る。その後、天文二十三年(1554)頃、小早川隆景から向島の一円支配を認められたことを契機として小早川氏、毛利氏と関係を強めた。因島村上氏は毛利氏の周防・長門侵攻戦や九州戦役、織田氏との木津川沖合戦などに参加し、その水軍の実力を示している。

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当主

  • 村上備中入道
  • 村上吉資:因島地頭代官職の獲得や金蓮寺の再興などを行い、因島における勢力を確立した。
  • 村上吉充:吉資の子。
  • 村上吉直:吉充の子。
  • 村上尚吉:吉直の子。
  • 村上吉充:尚吉の子。毛利方水軍として豊前蓑島の合戦や織田氏との木津川口合戦などで活躍。
  • 村上吉亮:吉充の弟の亮康の次男。吉充の養子となって家督を継ぐ。

一門

  • 村上吉忠:村上尚吉の次男。
  • 村上亮康:村上尚吉の三男。の大可島城主。
  • 村上景康:亮康の長男。

家臣団

  • 宮地明光:資弘の父。
  • 宮地資弘:吉資時代の家臣。大きな経済力を有し、金蓮寺などの造営事業に関わった。

居館・城郭

  • 青影城:因島村上氏の本城といわれている。
  • 青木城:因島の北端に位置する海城。村上吉充が永禄十年に余崎城から移って居城としたという。
  • 美可崎城:三庄湾の南に築かれた見張りの城。
  • 余崎城:向島の南に突き出した観音崎に築かれた海城。一時期、村上吉充が在城していたという。
  • 岡島城:尾道と向島の間の尾道水道に浮かぶ小島に築かれた海城。かつての宇賀島衆の本拠。
  • 大可島城:鞆の港を扼す海城。村上亮康が城主となった。