村上 尚吉

むらかみ なおよし

 16世紀前半の海賊衆・因島村上氏の当主。新蔵人、加賀守。先代当主・吉直の子で、吉充、亮康の父。

鞆城跡から眺めた鞆港。
鞆城跡から眺めた鞆港。

鞆浦の獲得

  天文十三年(1544)七月、大内義隆は「村上新蔵人」(尚吉)に対し、下文でもって備後国鞆浦の内、十八貫分の領地を宛がっている。この背景には、当時、尼子方についた備後の神辺城主・山名理興討伐のため、海上輸送、海上警固について因島村上氏の合力を得るねらいがあったといわれる。

 ただ一方で天文十年(1541)正月に、大内氏と敵対する厳島神主・友田興藤を能島、来島、因島の村上水軍が支援しており、これに対し同年六月から大内警固衆が因島など村上諸家の拠点を攻撃している。少なくとも天文十年時点では尚吉(あるいは父の吉直)は大内氏と敵対しており、大内氏の鞆領給付には尚吉を自陣営へ引き入れる目的もあったと思われる。

 年未詳十二月と正月に、それぞれ大内氏奉行人・陶隆満と小早川徳寿(隆景の幼名)が尚吉から贈られた刀一腰について礼を述べており、尚吉が大内方に加わっていたことが窺える。

遣明船への関わり

 また天文十六年(1547)の大内氏が派遣した遣明船について、近世の軍記物の「南海通記」が載せる「渡唐船法度」の奥の署名の一つに「加賀守源朝臣」がみえる。尚吉の受領名が「加賀守」であることから、この「加賀守源朝臣」が尚吉とする見方もある。因島村上氏の領内には因島田島、鞆など水運拠点があり、因島村上氏が海外貿易に携わっていた可能性は少なくないと思われる。

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関連人物

  • 村上吉直:尚吉の父。
  • 村上吉充:尚吉の嫡子。尚吉の跡を継いだ。
  • 村上亮康:尚吉の子。

その他の関連項目

参考文献

  • 金谷匡人・『歴史文化ライブラリー56 海賊たちの中世』・吉川弘文館・1998
  • 「因島村上文書」(『広島県史 古代中世資料編Ⅳ』)