村上 吉充
むらかみ よしみつ
15世紀後半の海賊衆・因島村上氏の当主。先代当主・吉資の子で吉直の父。吉直の孫にあたる又三郎吉充と同名。
大内氏との関係
年未詳十二月、周防の守護大名・大内政弘は村上新蔵人(吉充)に対し、吉充から久しく便りが無いのは「慮外」のことだとして、特に用件が無くても、まめに連絡してくれるよう求めている。周防大内氏が因島村上氏との関係強化を図っていることがうかがえる。
山名氏との関係
吉充は文明十五年(1483)十一月、嫡子とみられる「亀若丸」への譲り状の中で「御屋形様」(山名政豊か)へ余儀なく奉公するよう言っており、基本的には備後守護・山名氏に従属する立場をとっていた。
周辺海域の支配
またこの譲り状では御判地や私領の他に「札浦」を譲るとしている。札浦は通航する船に賦課する通行料を徴収する港のことであるとみられ、因島村上氏が航路の要地をおさえて周辺海域を支配下においていたことがうかがえる。