宇賀島衆

うかしま しゅう

 備後・尾道と向島の間の尾道水道に浮かぶ島・宇賀島(後の岡島)を根拠地とした海賊衆。

千光寺山中腹から眺めた尾道水道と宇賀島(岡島)。
千光寺山中腹から眺めた尾道水道と宇賀島(岡島)。

 宇賀島衆は根拠地・宇賀島を中心に周辺海域で航行船舶から礼銭、関料を徴収していたとみられる。応永二十七年(1420)七月、朝鮮の日本回礼使・宋希璟は尾道で海賊船十八隻の待ち伏せを受けて食料を求められ、天文二十年(1551)四月、梅林守龍は竹原で「関之大将ウカ島賊船」に囲まれて「過分の礼銭」を支払っている。

  宇賀島衆は向島の領主的地位も持っており、嘉吉三年(1443)正月には歌島(向島)の四名が「関公用」として「おきのせき」への夫役や銭、米の供出を負担している(「備後国歌島手次目録」)。

 天文二十三年(1554)ごろ、海賊衆・因島村上氏と結んだ小早川氏によって滅ぼされる。

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当主

  • 関之大将ウカ島:「梅林守龍周防下向日記」にみえる海賊。宇賀島衆の頭領とみられる。

一門

家臣団

居館・城郭

  • 宇賀島城(岡城):尾道水道の小島を城郭化した海城。宇賀島衆の本拠地。