野間氏
のま し
室町・戦国期、安芸国矢野を本拠とした国人領主。南北朝期、伊予国から駆逐されて安芸国に北上した北朝方伊予衆の出身といわれる。
野間氏の勢力圏
最盛期には矢野から焼山(現在の呉市焼山町)、吉浦(同じく吉浦町)一帯、そして波多見島(倉橋島北部)を領有した。領域北方で阿曽沼氏や平賀氏と、東方の波多見島では竹原小早川氏と争っている。
滅亡
防芸引分では、最終的に大内方で参戦。毛利方の海田などを攻めたが、天文二十四年(1555)四月、毛利氏に本拠・矢野城を攻められて降伏した。当主隆実は助命されたものの、多くの家臣たちが殺害され、滅亡した。
野間水軍
野間氏は吉浦などを基地として強力な水軍を擁していたとみられ、滅亡後に吉浦を領した吉川元春はここに野間氏旧臣を入れて水軍を組織させている。
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当主
- 野間公高:応永六年(1399)正月、大内義弘により豊前障子ヶ岳城への援軍として派遣された。
- 野間公光:婚姻関係を結び、波多見島を譲渡するなど、竹原小早川氏との関係強化を図った。
- 野間弘宣:波多見島を竹原小早川氏から奪い、再び支配下に置いた。
- 野間興勝:毛利氏らと国人一揆を締結。周辺諸氏と争いながら勢力を拡大。 大永年間に尼子氏に属すも、大内方の反撃で降伏した。
- 野間隆実:野間氏の最後の当主。
一門
- 野間兵部少輔:文明六年、沼田小早川の高山城攻めに、竹原小早川への援軍として大内政弘から派遣された。
- 野間彦太郎:大永三年(1523)八月以前に、東西条の下見村に所領百貫を知行していた。
- 野間刑部大輔:吉浦を拠点とする野間氏の部将。大内方水軍として戦った。
- 野間則全:野間隆則(隆実?)の弟。保木城落城の際に落ち延びたという。
家臣団
居館・城郭
- 矢野城(保木城):矢野の発喜山に築かれた山城。野間氏の本城。
- 吉浦堀城
- 有崎城
- 掃部城:「野間掃部」の城と伝えられている。