生口氏

いくち し

 安芸国生口島を根拠地として海上活動を展開した海賊衆。沼田小早川氏の庶子家。

瀬戸田の地蔵院の五輪塔や宝篋印塔。鎌倉時代~室町時代初期。生口氏関係の墓とみられる。
瀬戸田の地蔵院の五輪塔や宝篋印塔。鎌倉時代~室町時代初期。生口氏関係の墓とみられる。

小早川水軍の一翼

 沼田小早川氏惣領家を支える有力支族としてしばしば軍勢を率いて各地を転戦している。またその本拠・瀬戸田は瀬戸内海屈指の水運拠点であり、生口氏は同地の商人らと結びついて水運に関わっていた。

 天文年間、毛利氏出身の隆景が沼田・竹原の両小早川を継承するころから、海賊衆としての自立傾向を強めたといわれる。以後も毛利方として水軍を率いて活動しているが、16世紀末以降、史料上から姿がみえなくなる。

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瀬戸田の地蔵院の五輪塔。 瀬戸田の地蔵院の五輪塔。宝篋印塔の笠部が混じっている。 生口島茶臼山城の麓、中野地区の光明寺の墓石群。生口氏のものとみられている。宝篋印塔の笠部が多数ある。 光明寺に安置されている宝篋印塔の笠部。 生口氏が瀬戸田町衆とともに保護してきた向上寺の三重塔。

当主

  • 生口惟平:生口氏の初代。沼田小早川宣平の子。
  • 生口公実:惟平の子。
  • 生口守平:瀬戸田向上寺三重塔を造営した。
  • 生口元清:沼田小早川敬平の弟。
  • 生口隆平:瀬戸田町衆らと協力して向上寺に梵鐘を寄進した。
  • 生口景守:蓑島合戦や木津川口合戦で毛利方水軍として活躍した。
  • 生口景長:慶長四年(1599)、瀬戸田の町衆とともに向上寺の梵鐘を守った。

一門

  • 生口信元
  • 生口刑部丞:生口公実の子。
  • 生口因州
  • 生口孫四郎
  • 生口平左衛門:『芸藩通志』には生口景守の同族で、俵崎城を守ったとある。

家臣団

居館・城郭

  • 俵崎城:生口島東北部、瀬戸田の町の南の丘陵先端部に築かれた海城。
  • 茶臼山城:『芸藩通志』は生口孫三郎景守の城と伝えている。