16世紀前半頃の海賊衆・倉橋多賀谷氏の当主。 興頼の父。
近世に編纂された『芸藩通志』には、「多賀谷興重、もと伊予の人、明応文亀の間、倉橋島を領す、子興頼、毛利氏に撃たれ…」とある。文明十二年(1480)六月に倉橋本浦の桂浜神社を再興した弘重、貞光父子の後継者にあたるか。興重も桂浜神社の造営に関わっており、永正十一年(1514)の棟札写には、檀那として平興重、重勝、実代、実秀、貞吉の名がみえる。