多賀谷 興重

たがや おきしげ

 16世紀前半頃の海賊衆・倉橋多賀谷氏の当主。 興頼の父。

桂浜神社の造営

 近世に編纂された『芸藩通志』には、「多賀谷興重、もと伊予の人、明応文亀の間、倉橋島を領す、子興頼、毛利氏に撃たれ…」とある。文明十二年(1480)六月に倉橋本浦の桂浜神社を再興した弘重、貞光父子の後継者にあたるか。興重も桂浜神社の造営に関わっており、永正十一年(1514)の棟札写には、檀那として平興重、重勝、実代、実秀、貞吉の名がみえる。

関連人物

  • 多賀谷興頼:興重の子。天文二十四年(1555)に毛利氏に滅ぼされた。
  • 多賀谷重勝:興重とともに桂浜神社造営の檀那として名が見える。
  • 多賀谷実代:興重とともに桂浜神社造営の檀那として名が見える。
  • 多賀谷実秀:興重とともに桂浜神社造営の檀那として名が見える。
  • 多賀谷貞吉:興重とともに桂浜神社造営の檀那として名が見える。

その他の関連項目

参考文献

  • 山内譲 『中世の港と海賊』 法政大学出版 2011
  • 「中世の倉橋島」(『倉橋町史 通史編』 2001)