村上 隆勝
むらかみ たかかつ
戦国初期における海賊衆・能島村上氏の当主。宮内大輔。室町幕府の有力者・細川高国をはじめとして周防の大内義興や伊予の河野通直、豊後の大友義鑑らと交渉を持ち、瀬戸内海における能島村上氏の地盤を固めた。
細川高国と結び、塩飽島代官職を得る
年未詳四月の細川高国の書状によれば、高国は隆勝の「忠節」を賞して「讃岐国料所塩飽嶋代官職」を与えている。隆勝が高国と結んで活動し、後に能島村上氏の重要拠点となる塩飽への進出を果たしていることが分かる。隆勝は幕府の権力抗争で高国と結んでいた大内義興にも合力しており、年未詳十一月に「与州国分山合戦」における戦功を賞した感状も残されている。
伊予守護河野氏と共に上洛
だが一貫して高国、義興に味方していたわけでもなかった。享禄四年、隆勝父子は高国と対立する細川晴元と結んぶ伊予守護・河野通直の共をして上京し、晴元・通直派として参戦している。
豊後大友氏との関係
天文元年(1532)七月、豊後の大名・大友義鑑は安芸国人・熊谷膳直に宛て、自分の「豊筑発向」に際して武田光和や尼子経久らと協力して大内義隆を牽制するよう依頼している。この中で「海上之事」については河野通直、「宇都宮」、「村上宮内大輔」(隆勝)に申し合わせてあることも伝えている。後に村上武吉も大友氏と結んで毛利氏と戦っているが、能島村上氏と大友氏の関係も隆勝の代からあったことが分かる。