光井 兼種

みつい かねたね

 大内家臣。三郎次郎、兵庫允。光井氏は大内氏の有力家臣・安富氏の庶流で周防国熊毛郡光井保を本拠とする。光井保は周防灘に面し、東に要港室積と接する。兼種も海辺の領主として水軍を率いて活躍した。

光井天満宮の鳥居からの眺め。 兼種は光井氏当主として光井天満宮の造営を行った。
光井天満宮の鳥居からの眺め。 兼種は光井氏当主として光井天満宮の造営を行った。

光井保と光井天満宮

 兼種の時期の所領は、周防国熊毛郡光井東方六十石、同郡麻合十石、玖珂郡椙杜十石、豊前国筑城郡椎田村内新開五段、同国下毛郡島名五段が確認できる。光井天満宮(冠天満宮)の棟札によれば、光井保の西方領主は内藤興盛だった。また同棟札からは、光井氏が先祖代々同天満宮の上葺をを担い、兼種も天文十八年(1549)三月に社殿を新たに建立したことが分かる。

安芸国拠点の防衛

 大永三年(1523)から約三年間、兼種は弘中興兼に従い、安芸国佐西郡草津城に在城した。当時、大内氏は安芸武田氏や厳島神主・友田興藤ら尼子氏と連携する勢力と戦っていた。草津城は大内方の最前線の一つであり、大永六年(1526)七月には兼種の部隊も武田方と交戦し、負傷者を出している。

 大永七年からは野田興方の指揮下に入り、安芸国佐西郡の石道新城の守備を担当した。石道新城の城番には他に小幡四郎がいた。大永八年八月、毎時小幡と相談しながら馳走するよう野田興方らから指示を受けている。なお、興方らは「替事」についても言及しているから、兼種はこの後交替して領地に帰還出来たのかもしれない。

石見国、北九州への出陣

 とはいえ、享禄年間以降も兼種の休む間はわずかだった。内藤興盛や麻生隆春の副将として石見国に出陣する指示を受けていたり、天文元年頃には豊前国下毛郡の万代平城に在城している。大内氏は享禄二年(1529)頃から天文三年(1534)頃まで北九州で少弐氏や大友氏と戦っているので、兼種も渡海して従軍していたのだろう。なお、これまでの安芸国や石見国での軍事行動は父兵庫助の名代であったことが、兼種宛の大内氏奉行人の書状から分かる。

財政窮乏

 長年の遠征が祟ってか、兼種が万代平城に在城する頃には光井氏の財政はかなり窮乏していたらしい。兼種は主家に対し「徳政」を願い出ており、奉行人から免許の旨が伝えられている。これにより、質物や売却した土地を取り戻す権利を保障された。この「徳政」は、長年の軍役に耐えた家臣への恩賞という側面もあったといわれる。

再び安芸国

 天文年間、兼種は陶持長らに従って再び安芸国に展開していた。天文九年(1540)五月五日、佐東川(太田川)河口で戦功を挙げている。相手は安芸武田氏の水軍かその拠点と推定される。同日、安芸国仁保島の白井房胤が佐東箱島(広島市中区白島)で負傷者を出しているから、連携して戦っていたのかもしれない。安芸武田氏は翌天文十年五月に本拠・佐東金山城が陥落して滅亡した。

能島村上氏との戦い

 天文十五年(1546)八月十五日、冷泉隆豊の指揮下で伊予国中途島を攻めに加わり、郎等が負傷している。伊予国中途島に拠っていたのは村上義益能島村上氏の反大内勢力であったとみられる。翌天文十六年五月には白井房胤も同島を攻撃している。

乗り物で登城

 城番が病気などで「乗物」により登城する場合、大内氏では当主の許可が必要だったらしい。年未詳だが、兼種は養生の為に「乗物」で登城しており、この件について内藤興盛(当時の指揮官とみられる)を通じて大内義隆の許可を得ている。別の時期、病気の為に弟の彦三郎を城番の名代としたこともあったが、その際も少し回復した後、乗物による登城を申請して認められている。

死後の跡目

 天文二十年(1551)四月七日、兼種の弟、隆貞は大内氏奉行人から裁許状を受け取った。この時既に兼種は死去しており、その跡目をめぐる隆貞と兼種の養子・村上隆号が争った裁判の結果を伝えるものだった。聞き取りや証文確認の結果、「衆評」(大内氏奉行人による評定)は隆貞を支持。兼種の給地や家財は弟隆貞が継承することとなった。

Photos

有井城跡。この城跡は兼種が城番となった安芸国石道新城跡といわれる。 兼種が能美四郎らとともに攻撃した中途島(中渡島)。

関連人物

  • 光井兵庫助:兼種の父。兼種の軍事行動は天文初年頃までは父の代理の為だった。なお天文六年頃から大内氏奉行人から兼種への宛名が「兵庫允」となっている。
  • 光井隆貞:兼種の弟。
  • 村上隆号:兼種の養子。
  • 能美四郎 安芸国能美島の水軍衆。兼種とともに中途島を攻撃した。
  • 内藤興盛:大内氏の上層家臣。光井天満宮棟札によれば光井保の西方の領主でもあった。

その他の関連項目

  • 八海山城:山口県光市光井西八海。光井氏の居城と伝わる。

参考文献

  • 「角川地名大辞典」編纂委員会・竹内理三 『角川地名大辞典 35山口県』 角川書店 1988
  • 和田秀作 「大内氏家臣安富氏の関係史料について(二)」(『山口県文書館研究紀要』28 2001)