弓(土佐)

ゆみ

 木材の産地として知られる土佐国において、弓はその副業的手工業製品として製作されたとみられる。戦国期、土佐国の争乱で消費されたと思われるが、いくつかの史料から土佐国外への移出も確認できる。

畿内に贈られた弓

  本願寺証如の日記である『天文日記』には、土佐国幡多荘の領主・一条氏が天文八年(1539)七月十二日、京都の一条氏へ弓二十張、同十六年(1547)正月十三日に大坂本願寺に弓五十張を送ったことがみえる。また「証如上人書札案」天文九年(1540)十二月二十一日付の町宛書状案にも土佐一条氏が本願寺に弓を送ったことがみえる。 これらのことから、土佐幡多荘で弓が製作されていたことがうかがえる。

堺商人

 土佐一条氏と本願寺との間を堺商人が往復して書簡などを届けていることから、堺商人が弓の商取引にも関わっていたことが同じく推定されている。

  堺商人が土佐の弓を扱っていたことについては、天文五年(1536)の「津野旦那帳」からもうかがうことができる。この史料の須崎市分には堺商人とみられる「さかいあき人 たるや与五良殿」が初穂料を太布一端と弓木十九張で納めたことが記されており、須崎の市で購入した商品の一部を納入に充てたものと考えられている。

 このほか、「津野旦那帳」には弓を納めた例が三件記されており、津野荘でも弓生産が行われ、それらが伊勢御師に納められ、あるいは須崎の市で堺などから来航した商人に購入されたものと思われる。

市場・積出港

人物

  • たるや与五良

参考文献

  • 下村效 「戦国期土佐国津野荘民の伊勢参宮と荘頭の港町須崎再考」(『戦国織豊期の社会と文化』 吉川弘文館 1982)