土佐弓

とさゆみ

 木材の産地として知られる土佐国において、弓はその副業的手工業製品として製作されたとみられる。戦国期には「土佐弓」とも呼ばれ、有力者間の贈り物にも用いられた。

乃美宗勝と「土佐弓」

 南予(愛媛県南部)の黒瀬松葉を本拠とする西園寺公広は小早川家臣・乃美宗勝に対し、八月一日の八朔儀礼の祝儀として「土佐弓」十張を贈っている(「浦家文書」)。南方の土佐国から入手したものとみられる。また天正十一年(1583)、海賊衆・能島村上氏も乃美宗勝に対して土佐弓を贈っており、これに対し宗勝は「殊土佐弓五張披懸御意候」と礼を述べている(「屋代島村上文書」)。少なくとも宗勝にとって、土佐弓は心遣いが感じられる贈り物であったことがうかがえる。

土佐一条氏

  土佐国の領主層も、弓を贈り物に用いた。土佐国幡多荘の領主・一条氏は天文八年(1539)七月、京都の一条氏へ弓二十張、同十六年(1547)正月十三日に大坂本願寺に弓五十張を送っている(『天文日記』)。また「証如上人書札案」天文九年(1540)十二月二十一日付の町宛書状案にも、土佐一条氏が本願寺に弓を送ったことがみえる。 土佐国幡多荘でも弓が製作されていたのだろう。

堺商人による購入

 土佐一条氏と本願寺との間を堺商人が往復して書簡などを届けていることから、堺商人が弓の商取引にも関わっていたことが推定されている。 天文五年(1536)の「津野旦那帳」によれば、須崎市分には堺商人とみられる「さかいあき人 たるや与五良殿」が初穂料を太布一端と弓木十九張で納めたことが記されており、須崎の市で購入した商品の一部を納入に充てたものと考えられる。このほか、「津野旦那帳」には弓を納めた例が三件記されている。

市場・積出港

人物

  • たるや与五良
  • 西園寺公広
  • 乃美宗勝

参考文献

  • 下村效 「戦国期土佐国津野荘民の伊勢参宮と荘頭の港町須崎再考」(『戦国織豊期の社会と文化』 吉川弘文館 1982)
  • 『戦国遺文 瀬戸内水軍編』 東京堂出版 2012
  • 愛媛県歴史文化博物館 学芸員ブログ『研究室から』 http://www.i-rekihaku.jp/gakublo/tokubetsu/150