蒲刈多賀谷氏

かまがりたがや し

 室町・戦国期、安芸国蒲刈島を本拠に活動した海賊衆。 大内氏直属水軍・三ヶ島衆の一角を担った。

下蒲刈島の天神鼻に築かれた、蒲刈多賀谷氏の本拠丸屋城跡。
下蒲刈島の天神鼻に築かれた、蒲刈多賀谷氏の本拠丸屋城跡。

東国からの移住

 多賀谷氏は元来、武蔵国埼玉郡多賀谷を本貫地とする東国武士であったが、鎌倉期・承久の乱後に支族が伊予国周敷郡北条郷に移る。さらに南北朝期、この多賀谷氏が南朝方に追われる格好で安芸国の蒲刈島、倉橋島に本拠を移したことで、海賊衆・蒲刈多賀谷氏、および倉橋多賀谷氏が成立した。

瀬戸内の水軍

  蒲刈多賀谷氏は以後、同族の倉橋多賀谷氏や伊予衆の重見氏らとの連携を維持しつつ、大内氏に属する水軍として海上活動を展開した。しかし、戦国期に勢力は衰退し、天文年間には本拠・蒲刈に竹原小早川氏の支配が及ぶようになる。

 大内氏滅亡後は、毛利氏、小早川氏の水軍としてその一翼を担った。

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当主

  • 多賀谷孫次郎:南北朝期、伊予国の北朝方に属した武将。南朝方により伊予を追われる。
  • 多賀谷景時:大永三年(1523)頃、尼子氏との合戦で降伏。後に大内方に復帰。
  • 多賀谷興景:景時の子。蒲刈における尼子氏との合戦で戦死。
  • 多賀谷武重:大内氏の麾下で水軍を率いて活躍。後に毛利氏に仕えた。
  • 多賀谷春貞:武重の子。

一門

家臣団

居館・城郭