松崎天満宮(防府天満宮)
まつざき てんまんぐう
延喜四年(904)、菅原道真の死を知った菅原氏一族の周防国司・土師信貞が「松崎の社」として創建した最古の天神社。太宰府天満宮、北野天満宮と並ぶ日本三大天神の一つ。
中世、佐波郡一帯が天満宮信仰圏となっており、松崎天満宮が支配する門前町・宮市は同郡経済の中心として栄えた。
建久六年(1195)、東大寺再建が成ったことを祝い、大勧進として周防国司(周防国は東大寺造営料国)の任にあった俊乗房重源が玉祖神社などとともに、松崎天満宮の造営を行っており、松崎天満宮の基本的な構造は、この際に形成されたものと思われる。その後、鎌倉末期に社は焼失するが、すぐさま大内氏により再建がなされ、以後も大内氏、毛利氏により修築・造替が行われており、両氏の厚い崇敬とともに、天満宮掌握の意図とその重要性を窺うことができる。
松崎天満宮の門前町・宮市で行われる祭礼・十月会の頭役は、佐波郡内の三田尻、富田、浮野、伊佐江、右田市、高井村などに居住する商人・職人が担っており、彼らの分布範囲が松崎天満宮の信仰圏であったと思われる。
山口県防府市松崎町