三田尻
みたじり
佐波川河口部に位置し、古くから周防国府の港湾部を担ったとみられる港町。対岸の向島や田島、東の龍ヶ崎などにより波風から守られる天然の良港であり、風待ち・潮待ちの港として瀬戸内海航路の要衝を占めた。
康応元年(1389)、厳島参詣と西国視察のため瀬戸内海を西下した将軍・足利義満の一行も三田尻に上陸し、ここで大内氏の歓待を受けている。また戦国期、三田尻対岸の向島が能島村上氏の札浦として瀬戸内海通行料徴収の拠点となっており、三田尻が瀬戸内海の重要な寄港地のひとつであったことがわかる。
また大永五年(1525)、宮市周辺の村落で炭薪を扱う在地商人が、宮市での津料徴収をきらって三田尻に荷を廻送していることが問題となっており、この頃までに三田尻がある程度、商業的な発展を遂げた港町となっていたことがうかがわれる。