大専坊

だいせん ぼう

 松崎天満宮境内で萬福寺と総称される九つの社坊の中で、萬福寺の別当として中心的な役割を担った社坊。

 円楽坊と並ぶ最も古い社坊であり、延喜四年(904)、国司・土師信貞が「松崎の社」(松崎天満宮)を創建した際に、円楽坊とともに創建されたという。

  大専坊は主に松崎天満宮の年中行事と祈祷を管掌しており、天満宮内にいて極めて重要な職掌をになっていた。また大専坊は、門前市・宮市への荷揚げ品にかける津料の徴収や、同市での売買に参加する者の管理、市周辺のインフラ整備等を行う市目代の任命権を持っており、市目代への指導・監督を通して周防中部の中心的な物資集散を担う宮市の支配において重要な地位を占めていた。

 大内氏はこの大専坊の津料徴収権を外側から保障することにより、宮市の掌握を図っている。

山口県防府市松崎町

 

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大専坊跡。松崎天満宮境内内にあった九つの社坊(萬福寺)のうち、現在唯一残る社坊。

関連人物

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参考文献