仲屋
なかや
戦国初期、豊後大友氏と関係を持ち、対外貿易にも関わったとみられる商人。戦国末期の臼杵の豪商・仲屋宗悦の二代、もしくは三代前の人物か。
文亀元年(1501)六月、大友氏当主・親治に宛てたとみられる管領・細川政元の重臣・赤沢宗益の書状に「仲屋殿」の名が見える。
この書状は親治の贈答に対する返書とみられ、親治が将軍・足利義澄に「織物二端」と「越布三端」を、赤沢宗益へは「鳥目二千疋、段子(緞子)三段、藤(籐)之莚一枚」を贈ったことが書状から分かる。そして最後に、豊後に下る「勝光寺」と「仲屋殿」が詳細を申し入れるとしている。「勝光寺」は明応から永正期に幕府と大友氏との間を往復した使僧であり、仲屋はこの勝光寺と共にに上洛し、返書を授かったのだろう。
この書状にみえる越布や緞子、籐の莚は、中国や東南アジア方面からの輸入品であり、大友氏は15世紀前半の持直の時代からこれらの輸入品を幕府中枢部の人物に贈与していた。一方で、仲屋氏は後の仲屋乾通や宗悦が対外貿易に関わって巨利を得ており、書状にみえる仲屋もまた対外貿易に従事していた可能性が高い。
仲屋が大友氏の使者となった背景には、このように対外貿易で輸入品を扱っていたことが一点あり、同時にそれらの商品の販売・流通に関わって幕府など畿内方面の勢力と交流があったことが考えられる。
関連人物
- 仲屋乾通:16世紀中頃の府内の豪商。
その他の関連項目
参考文献
- 鹿毛敏夫 「戦国期豪商の存在形態と大友氏」 (『戦国大名の外交と都市・流通―豊後大友氏と東アジア世界―』 思文閣出版 2006 )