琉球焼酒(泡盛)

りゅうきゅうしょうしゅ

 15・16世紀以降、琉球王国で製造された米を原料とする蒸留酒。いわゆる泡盛。一般的な米焼酎が白麹菌を使用するのに対し、黒麹菌によって発酵を行うことを特徴とする。

 1462年、『朝鮮王朝実録』にみえる朝鮮の肖得誠らの見聞によると「那覇港内の城に酒庫があり、清、濁の酒及び一年、二年、三年寝かせた酒が貯蔵されていた」とある。既に琉球では泡盛の古酒のようなものが製造されていたことがうかがえる。


  琉球はこの琉球焼酒を薩摩島津氏への進上物としており、永正十二年(1515)に唐酒、南蛮酒とともに琉球焼酎を贈っている。島津氏の重臣・上井覚兼が記した『上井覚兼日記』によれば、天正十三年(1585)五月にも琉球使節が国王からの進物として食籠や紅花、絹子、太平布などとともに「焼酒蠻甕」が贈られている。また琉球使節を迎えての饗宴でも飲まれており、天正三年(1575)四月、「琉球より之御酒」がふるまわれ、その後、三味線による演奏と歌も催されている。

 琉球焼酒は、薩摩においても希少であり、天正十三年(1585)年五月、島津義弘から「琉球焼酒」をふるまわれた覚兼は、これを「珎(珍)酒」として他の家臣とともに礼をいって賞味している。

  島津氏はこの希少な琉球焼酎を自身の贈り物にも用いていたとみられ、同氏による琉球侵攻の後であるが、慶長十七年(1612)、島津氏が将軍に「焼酒二壷琉球酒 砂糖五桶」を献上したことが『駿府記』にみえる。

市場・積出港

参考文献

  • 東京大学史料編纂所・編 『大日本古記録 上井覚兼日記 中』 岩波書店 1955