伊勢布

いせふ

 伊勢国で織られた芋麻布、あるいは木綿布。保内商人らによって近江や京都にも運ばれた 。

 永禄元年(1558)十一月の「近江保内商人申状案」では、桑名・近江を結ぶ伊勢道での商品輸送に関し、保内商人と枝村商人が争った際の前者の主張が示されているが、そこに挙げられた商品の中に「あさお」や紙、「木わた」などとともに「伊勢布」がみえる。これにより、当時、「伊勢布」が重要商品として近江、京都方面にも運ばれていたことが分かる。

  伊勢神宮・外宮の門前町である山田では明応六年(1497)に「布座」の存在が確認でき、伊勢布が伊勢国内でも重要な商品であったことが窺える。「布」は一般的に芋麻布を指し、上記で保内商人らが運んだ商品にも「あさお(麻芋)」がみえるように、越後や信濃などの青苧や白芋が伊勢に運ばれて布に織られていた可能性がある。

  一方で伊勢は江戸初期には「松坂木綿」などで知られた木綿産地であり、これが戦国期に遡るならば伊勢布とは木綿布であった可能性もある。永正十一年(1514)六月、伊勢の御師・蔵田左京亮は越後の長尾為景の家臣・山吉妙寿に熨斗鮑とともに木綿一反と茜を贈っており、伊勢での木綿の存在が確認できる。

 また天正二年(1574)の『船々取日記』でも「しの嶋小五郎舟」が近世の木綿栽培の肥料である「こえいわし」(肥鰯)を大湊に運んでおり、永禄元年(1558)、山田に「鰯座」があったことも、木綿栽培の広がりを示しているとみられる。

市場・積出港

  • 山田

参考文献

  • 永原慶二「戦国期伊勢・三河湾地域の物資流通構造」(『戦国期の政治経済構造』 岩波書店 1997)
  • 永原慶二 『芋麻・絹・木綿の社会史』 吉川弘文館 2004