青苧(越後)

あおそ

 芋(からむし)から繊維を取り出し、乾燥させて束とした中間製品。本項で取り上げるのは越後国の魚沼郡・頚城郡を中心とした地域で生産されたもの。この越後産青苧からの紡糸により、越後布などの芋麻布が織られた。

越後から畿内に運ばれる

 室町・戦国期には大量の青苧が柏崎直江津から「芋船」「越後船」によって若狭の小浜などに運ばれていた。青苧はさらに京都や奈良にも運ばれ織布の材料とされた。

越後における流通課税

  青苧は越後を代表する産物であり、同国では越後上杉氏の御用商人である蔵田五郎左衛門が座元をつとめる越後芋座が成立し、大名権力を背景とした流通課税が行われていた。明応三年(1494)、柏崎の代官であった毛利重広の制札によれば、「からむし、布こ」は一駄廿文とされており、高額の課税対象であったことが分かる。

天王寺芋座の統制低下

  元来、芋座の本座は和泉国の天王寺芋座ということになっており、各地の商人から納められる芋役の一定部分は芋座の本所を主張する京都の公家・三条西家に納入されていた。しかし、室町・戦国期ともなると、本座の統制力は減衰していく。文明十八年(1486)には、これまで本座衆が越後の芋取引を一手に行ってきたのに対し、近日、座衆以外の者が越後府中に赴いて勝手に商売していることが問題となっている。

流通と利権をめぐる戦い

 京都側でも青苧流通の主導権を奪還するため、特に三条西家当主の三条西実隆などは本座の統制外の「盗買」を阻止すべく情報収集につとめて積極的に動いていた。越後上杉氏とは同氏の京都駐在家臣・神余実綱らを通じて折衝する一方で、坂本では越後商人の荷物を差し押さえ、小浜では若狭守護・武田氏と結び、「越後船」の抑留など強硬な手段も取っている。

市場・積出港

人物

  • 蔵田五郎左衛門:越後上杉氏の御用商人。
  • 神余実綱:越後上杉氏の「在京雑掌」。
  • 三条西実隆:京都の公家・三条西家の当主。当代屈指の文化人。

その他の関連項目

  • 天王寺芋座

参考文献

  • 永原慶二 『芋麻・絹・木綿の社会史』 吉川弘文館 2004