黒川氏
くろかわし
黒川氏は、宗像社大宮司で筑前国宗像郡の領主であった宗像正氏が、大内氏より周防国吉敷郡黒川郷を給付され、黒川隆尚と改名したことに始まる。大内氏一門に準じた扱いだった。
隆尚の猶子となって宗像氏の家督を相続した宗像氏男も、後に黒川隆像と改名して大内義隆に仕え、大寧寺の変で自害している。
隆尚の実子である黒川鍋寿丸は大寧寺の変後、宗像郡に入部。反対勢力を排除して宗像氏の家督を相続した。鍋寿丸は元服して宗像氏貞を名乗り、大内氏滅亡後は宗像郡内の大内氏直轄領を吸収して自立。大友氏ら周辺の大勢力と相対しながらも筑前国の有力領主としての勢力をを維持した。
宗像水軍
大内氏が宗像(黒川)氏を家臣化した背景には、宗像氏が擁する水軍を取り込む目的もあったといわれる。延文二年(1357)八月に宗像氏俊が筑前国守護少弐頼尚から海賊追討を命じられており、水軍の存在がうかがえる。
戦国期も同様であり、天文十年(1541)、黒川隆尚は水軍を率いて厳島沖で村上水軍を破っている。『厳島合戦之記』では、陶方の水軍の中を密かに押し通ろうとした乃美氏が、「筑前国より加勢に来た宗像・秋月・千手の者にて候」と叫び、味方と誤認させるという計略を用いたことになっている。これも宗像水軍がよく知られていたことを示すものと思われる。実際、占部尚安ら宗像家臣が陶氏に加勢していた。 後に豊臣秀吉が島津氏を攻める際にも、宗像水軍が動員されている。
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当主
- 黒川隆尚(宗像正氏):宗像興氏の養子。興氏の死後、家督を継いだ。
- 黒川隆像(宗像氏男):宗像氏続の子。隆尚の猶子となって家督を継いだ。
- 黒川鍋寿丸(宗像氏貞):隆尚の実子。
一門
- 宗像興氏:黒川隆尚の養父。
- 宗像氏佐:氏続の父。大宮司職を興氏と争った。
- 宗像氏続:隆像(氏男)の父。隆尚の猶子となって大宮司となるも、後に対立した。
- 大方殿:黒川隆尚の後家。陶隆房の姪。鍋寿丸の実母。鍋寿丸の家督相続のため、敵対勢力抹殺を主導した。
- 松尾殿:黒川隆尚の娘。氏貞の妹。
家臣団
- 石松典宗
- 深田氏俊
- 寺内尚秀
- 寺内秀郷
- 国分直頼
- 吉田良喜
- 吉田秀時
- 許斐氏備
- 中村尚道
- 中村彦太郎
- 児玉与三右衛門尉
- 豊嶋内蔵助
居館・城郭
- 黒川館
- 片脇城
- 大島城
- 白山城
- 名残城
- 岳山城