石火矢「国崩」

くにくずし

 天正十四年(1586)冬、宗麟(大友義鎮)の守る臼杵・丹生島城の篭城戦で城方が用いた南蛮渡来の石火矢。

 『豊薩軍記』には「先年南蛮国より渡りたる国崩と云大震雷」とあり、国崩が海外から輸入された石火矢であることが分かる。天正四年(1576)ごろ、宗麟は肥後の城氏に宛てた書状で、高瀬に船で到着した石火矢について、城氏が運搬の人夫を徴発したことを悦び、高瀬に奉行人を派遣するとしており、あるいはこの時輸入された石火矢が国崩と名付けられたのかもしれない。

  天正十四年(1586)冬、丹生島城は日向から侵攻した島津家久の軍勢の攻撃を受ける。『豊薩軍記』によれば、宗麟から国崩を預けられて島津勢への攻撃を命じられた武蔵守親実は、大玉の他に五、六匁の小玉を二升分詰めて発射した。発射された大玉は柳の木を押し倒したため、多くの島津兵が木の下敷きとなったり、着弾時に飛び散った大小の小玉に当たって死傷したという。この国崩の活躍によってか、大友領の大部分が島津勢に蹂躙される中、丹生島城は陥落を免れている。

 

関連人物

  • 大友義鎮

その他の関連項目

参考文献

  • 桐野作人 「戦国の大砲」 (『歴史群像 6月号 No.71』) 学習研究社 2005