越後布

えちごふ

 越後国で織られた芋麻布。 越後は芋(からむし)の一大産地であり、その加工品である青苧から積むいだ糸を用いて織られた越後布は高級品として珍重された。

 平安期には生産がはじまっており、『延喜式』巻二十三の規定によると越後は千端の「布」を交易雑物として納めることとなっている。さらに『吾妻鏡』の建久三年(1192)七月の記事には、征夷大将軍宣下の勅使である景良、康定が京都に戻るに際し、源頼朝は餞別として馬や桑糸、紺藍摺布とともに「越布」(越後布)千端を贈っており、すでにこの頃、越後布が京都への贈答品にも堪えられる高い品質を持っていたことがうかがえる。

  室町・戦国期に至ると、越後国南魚沼郡・頚城郡を中心とする地域の芋、芋布生産はさらに飛躍的に上昇し、品質もこれと平行して高まったとみられる。延徳三年(1491)、北野社は同社領の越後国魚沼郡上田関郷、三島郡大積郷の年貢の一部を「越後上布」で収納しているが、そのうち五貫文分を上布五端でとっており、当時、越後布の高級品は一端=一貫文というかなり高い値がついていたことがわかる。

  これら生産された越後布は春に小千谷堀之内で越後芋座の商人に集荷されて流通し、一部は柏崎から船で小浜に、あるいは陸路で桑名を経由して消費地・畿内へと運ばれた。『お湯殿上日記』(宮中女官の勤務日誌)などによれば、越後布は「ゑちご」という略称で呼ばれて高い評価を受けており、贈答品としても用いられている。

市場・積出港

その他の関連項目

参考文献

  • 永原慶二 『芋麻・絹・木綿の社会史』 吉川弘文館 2004