荏胡麻・灯油(備中国)

えごま とうゆ

 備中国南部で生産された灯油用の油を採取するための胡麻。京都・新熊野神社の荘園・万寿荘が生産の中心地の一つだった。荏胡麻から採れる灯油は新熊野神社をはじめとして寺社の祈願行事には欠かせないものであり、京都など畿内では大きな需要があったとみられる。

政所に納入された灯油

  貞和二年(1346)、備中守護代・赤見時基の勢力が万寿本荘に乱入。名主、百姓らの住宅に押し入って物品を奪い去るなどの乱暴狼藉をはたらく事件がおこった。その際、荘園の政所に納入されていた仏聖灯油なども横領しており、この頃には万寿荘において荏胡麻栽培が行われ、年貢として新熊野神社に納入されていたことが分かる。

儀式に用いられる

 この万寿荘の灯油は新熊野神社の儀式遂行に欠かせないものだった。応永十六年(1409)、同社の重要儀式である正月の修正会に際し、前年の天候不順により、万寿荘からの灯油料が未進になっていたため、結局、従来の五分の一を灯すことになっている。

 なお、応永十六年に限らず、この時期の万寿荘では天候不順を理由に灯油料などの年貢未進が相次いでいる。荘民側の年貢忌避行動の可能性もあるという。

商品として運ばれる

  この荏胡麻、灯油は年貢だけでなく商品としても流通している。文安二年(1445)における関税台帳である『兵庫北関入舩納帳』によれば、連島船などが胡麻を運んで兵庫北関に入港していることが確認できる。

市場・積出港

参考文献

  • 『新修 倉敷市史2 古代・中世』 1999