出雲崎

いずもざき

 越後国中部、柏崎から海岸沿いを北に延びる街道沿いに位置した港町。中世、街道の要衝として、また対岸の佐渡への渡航地、日本海航路の要港として栄えたとみられる。

 出雲崎は日本海沿岸を通過する街道の宿場でもあり、16世紀末、豊臣秀吉に鷹を贈る津軽氏の使者たちが寄った泊・宿の中に新潟や竹野町、泊(寺泊)、柏崎などとともに出雲崎がみえる。

 出雲崎が佐渡への渡航地であったことは、嘉慶元年(1387)、越後守護代・長尾高景は佐渡に侵攻した際、柏崎で船を集めた後に、出雲崎に隣接する「あませ」(尼瀬)、「かつ見」(勝見)から船出する準備を進めていたことからも分かる。二百年後の天正十七年(1589)、上杉景勝が同じく佐渡に出兵した際も出雲崎から船出して沢根に上陸している。

 また出雲崎は広域の日本海海運を担う商人が住む海運の拠点でもあり、慶長三年(1598)、出雲崎の「たちはなや(橘屋)二郎左衛門」が秋田から敦賀までの材木輸送に携わっている。

 上杉氏も出雲崎を重視して直轄化を行っており、天正九年(1581)九月、奉行人・泉沢久秀が「山下四ヶ村・まいこ・うから」などとともに「料所」として出雲崎を預けられている。天正十三年(1585)、上杉景勝が寺泊と出雲崎に村上安芸守等三人の兵糧米輸送を命じており、出雲崎を新発田氏攻めの後方支援基地として利用している。

人物

  • 橘屋二郎左衛門
  • 泉沢久秀

参考文献

  • 中野豈任 「第3章 第2節 中世の道 布と市」 (『新潟県史 通史編2 中世 1987)