深浦(笠戸島)
ふかうら
周防国都濃郡下松沖の周防灘に浮かぶ笠戸島南部の港町。笠戸島自体が弓の様に弧を描く形状であることに加え、深浦もその名が示すとおり深い入江にあり、天然の良港となっている。
瀬戸内海の寄港地
笠戸島は古くから瀬戸内海の海運上の要地にあった。平安末期の「本朝無題詩」には、釈蓮禅が「着笠戸泊一吟」した詩が収められている。
また近世成立の『南方紀伝』によれば延元元年(1336)四月、九州から京都に攻め上がる途上の足利尊氏が笠戸島に着陣している(『南方紀伝』延元元年4月26日条)。
能島村上氏の札浦
年未詳(天正十六年とみられる)十二月、毛利氏奉行人・妙寿寺周泉が村上元吉に宛てた書状に海賊衆・能島村上氏と深浦の関係がみえる。この書状は、毛利氏の惣国検地に対して村上元吉が「向島深浦両所儀」について申し入れを行ったことに回答したもの。向島(現在の防府市向島)には検地の手を入れないが、深浦は「御判形」の地ではないので検地の手を入れることになる、としており、深浦は能島村上氏の領地ではないとの見解が示されてる。
一方で周泉は深浦が能島村上氏の「札浦」であることも認識しており、元吉の「御理」を踏まえて従来通りの知行は認めると述べている。
「札浦」とは通航する船に賦課する通行料を徴収する港津。能島村上氏は同じく拠点であった周防国秋穂で「浦銭」を徴収しており、深浦でも通航船舶から「浦銭」の徴収を行っていたものと思われる。