生口船の関料免除特権とその剥奪

いくちせんのせきりょうめんじょとっけんとそのはくだつ

 応永二十九年(1422)十二月、瀬戸田を本拠とする生口氏当主の「小早川生口因幡入道公実」(生口公実) は室町幕府から、生口氏の船は生口船と号し、雑具などいろいろな必要物資を運送するので、海上諸関並びに河上、兵庫両関はこれから以後は生口船に対して関所の通行料である関銭を徴収せずに通過させる、という特権を与えられた。

 これにより、瀬戸田を基地とする生口氏の直属船、つまり生口船は瀬戸内海における物資輸送に非常に有利な条件を獲得し、生口氏は有力な経済基盤を手に入れたかにみえた。

  しかし翌年三月、この関銭免除特権を利用して、生口氏が本来は関銭を負担しなければならない瀬戸田の一般商船までも生口船と称し、関銭を支払わずに兵庫の関を多数通過させたとして関所を支配する東大寺と興福寺が幕府に訴訟を起こした。これを受けた幕府は生口氏の特権を剥奪し、さらに瀬戸田船に関わっていた兵庫の問丸に、兵庫南北両関に対して瀬戸田船から関銭を徴収するという請け書を差し出させている。

 この事件は、生口氏が多数の瀬戸田船に生口船を名乗ることを認めた結果であるとみられ、生口氏と瀬戸田商人が強く結びついていたことがわかる。またこの当時、わずかな期間に訴訟が起こるほどの多数の瀬戸田船が畿内方面に向けて航行していることから、瀬戸田を基地とする活発な水運活動もまたうかがうことができる。

 

関連人物

その他の関連項目

参考文献

  • 「第三章第四節 南北朝の動乱と室町幕府」(『瀬戸田町史 通史編』 )2004