唐人 秀正

かろうど ひでまさ

 戦国期、越後上杉氏に仕えた岸和田流の炮術師。 式部大夫(式部大輔)。

越後上杉氏の炮術師

 近世初期の上杉氏の史料である「鉄炮一巻之事」によれば、唐人式部大夫(秀正)は上杉氏譜代の炮術師であり、「先年」(慶長初年(1596)頃)に越後で死没したとされている。このことから、秀正の活動の時期は上杉謙信(長尾景虎)の時代と推定される。

岸和田流の系譜

 また17世紀中ごろの岸和田流の炮術師・豊野庄兵衛が相伝した秘伝書の相伝系図にも唐人秀正の名がみえる。この相伝系図から、唐人式部大輔秀正は岸和田肥前守重房に師事して岸和田流の秘伝を授けられ、これを弟子の清水式部小輔秀政に相伝したことが分かる。秘伝はさらに清水式部六蔵秀政、清水造酒丞重政とつづいて豊野庄兵衛繁政へと相伝されたのである。

将軍足利義輝の炮術伝書

 上記の豊野庄兵衛は上杉氏に炮術伝書「鉄炮薬方並調合次第」を進上しているが、この炮術伝書は永禄二年(1559)、上京して近江坂本に滞在していた長尾景虎が足利義藤(義輝)から拝領したものだった。「鉄炮薬方並調合次第」は景虎が拝領した後、自身に仕えていた炮術師・唐人秀正に下賜されたと考えられる。さらに秀正によって岸和田流の秘伝に加えられ、数代の師匠の相伝されて豊野庄兵衛にまでたどりついたのだろう。

秀正の秘伝書

 秀正はまた「私伝之集」という岸和田流の秘伝書をまとめているが、これは現存する岸和田流秘伝書の中でも最古に属している。同書には標的目測の心得、息の仕方、引き金を引く心得、遠距離のものを撃つときの心得などの秘伝がある。さらに「目当之事」すなわち狙点の秘伝が狙撃時の状況や対象に応じて細かく記されており、いかに炮術と戦争が密接に関係していたかが分かる。

関連人物

  • 岸和田:炮術流派岸和田流の創始者とされる炮術師。

その他の関連項目

参考文献

  • 宇田川武久 『歴史文化ライブラリー146 鉄砲と戦国合戦』 吉川弘文館 2002
  • 宇田川武久 『真説 鉄砲伝来』 平凡社 2006