十三湊

とさ みなと

 本州北端部である十三湖・日本海間の砂州上に立地し、十三湖・岩木川の内陸水運と蝦夷ヶ島(北海道)に通じる北方交易の中心として栄えた港町。

 成立は13世紀前半に遡るといわれ、鎌倉期以降、蝦夷管領として津軽を中心にに勢力を展開した津軽安藤氏の本拠として同地域の政治・経済の中心を担った。

 十三湊の史料上の初見は応安四年(1371)に周防国常燈寺で書写された大般若経で、この経典には「奥州津軽末十三湊」の僧・快融が書写したことが記されている。十三湊の僧侶が遠く離れた周防国の経典施入に関わっていたのであり、同時期、今川貞世が『みちゆきぶり』で尾道について「遥なるみちのく、つくし路のふねも多くたゆたゐたるに」と記していることからも、十三湊からの航路は遠く瀬戸内海にまで延びていたことがうかがえる。

 このためか十三湊を本拠とする安藤氏も中央との結びつきが強く、応永二十三年(1423)、「安藤陸奥守」は室町将軍に対し、大量の銭とともに馬や鳥、海虎(ラッコ)皮、昆布を贈っており、永享八年(1436)には小浜の羽賀寺本堂建立に寄進を行っている。

 さらに江戸期成立の『十三往来』や『御伽草子』には、十三湊に異国船や京船、「北国、又は高麗の船」が入港していたという記述があるが、実際に十三湊遺跡からは大量の中国製の青磁・白磁や高麗青磁などの輸入陶磁や珠洲、越前、常滑、瀬戸などの国産陶磁が出土しており、十三湊の広域流通を彷彿とさせている。

神社・寺院

  • 日吉神社
  • 檀林寺

参考文献

  • 榊原滋高 「中世港湾都市 十三湊遺跡の発掘調査」(『北の環日本海世界 書きかえられる津軽安藤氏』) 山川出版社 2002