中庄(因島)
なかのしょう
備後因島の中央部に位置する港町。室町・戦国期、瀬戸内屈指の海賊衆・因島村上氏の本拠として水運、水軍の基地となった。中世には東側に深い入り江があり、天然の良港を形成していたものと思われる。因島の中心的寺院である金蓮寺をはじめ、因島村上氏やその重臣・宮地氏の居館がおかれるなど、因島の中心的地位にあった。
因島の水運
文安二年(1445)の関税台帳である『兵庫北関入舩納帳』によれば、この年、兵庫北関に中庄の船とみられる「犬嶋」船が備後塩を中心に米、マメ、小麦などを積んで計十二回入港している。この時の船の多くは二百五十石級であったが、「戊子入明記」の享徳三年(1454)の遣明船候補のリストには「備後国院島」に「熊野丸、六百斛」があったことが記されている。因島村上氏とその本拠・中庄の水運力がけっして小さいものでなかったことがうかがえる。
宮地資弘の活躍
「備後太田庄年貢引付」によれば、嘉吉三年(1443)の正月と十一月に、尾道で「いんのしま」(「犬の嶋」)の「おゝい」という人物の船に高野山の年貢が積み込まれ、堺に運ばれている。この「おゝい」は因島村上氏の重臣で中庄を拠点としていた宮地大炊助資弘とみられており、当時、中庄を中心に因島村上氏が瀬戸内海水運に関わっていたことが分かる。
宮地資弘は文安六年(1449)に金蓮寺薬師堂の建立を行い、同じ頃に中庄八幡宮の重修も行うなど、中庄の発展にも貢献している。