因島と犬嶋

いんのしまといぬしま

 文安二年(1445)の兵庫北関の関税台帳である『兵庫北関入舩納帳』にみえる「犬嶋」については、現在の岡山市沖の犬島だとする説があるが、備後沖の因島である可能性がより高いように思われる。

  15世紀中頃の「備後太田庄年貢引付」からは、嘉吉三年(1443)正月廿八日に「犬の嶋おゝいとの」、同年十一月廿四日に「いんのしまおゝい」という船主を確認できる。この「おゝい」という人物は、同一人物で、因島村上吉資の家臣・宮地資弘とみられており、当時、「いんのしま」を「犬の嶋」と記す場合があったことが分かる。

  次に『納帳』に記された犬嶋船について検討すると、特徴として積荷の大半が備後塩で占められていることが注目される。『納帳』にみえる岡山市犬島周辺の船籍船は、主として小嶋(児島)塩を運んでおり、備後塩を主として扱うのは、むしろ芸予諸島に船籍を持つ船の特徴といえる。

 さらに、因島南部の三庄船の船頭に「森」という人物がおり、六、七十石と、比較的少量の備後塩を定期的に運んでいるが、犬嶋の船頭にも「森」がおり、四月に六十石の塩を運んでいる。このことから、三庄と犬嶋の森は同一人物である可能性が高い。以上のことから、『納帳』の犬嶋は因島のことである可能性が高いといえる。また「森」という例外を除けば、三庄と犬嶋の船頭は重複しておらず、別の港であると思われるので、犬嶋港は宮地氏の館があり、因島の中心であった中庄に比定できる。

 

関連人物

その他の関連項目

参考文献

  • 林屋辰三郎・編 『兵庫北関入舩納帳』 中央公論美術出版 1981