白井 某
しらい
安芸武田氏の武将。安芸白井氏の一族か。永正十四年(1517)十月二十二日、有田合戦において討ち死にした。
永正十四年(1517)十月二十八日付で毛利幸松丸(当時の毛利氏当主)が山県右馬助重房に出した書状によると、重房は十月二十二日の「有田面太刀打」(有田合戦)において数カ所の傷を負いながらも「白井」らを「討捕」ったとして幸松丸から功績を認められている。
有田合戦は有田城(山県郡)を攻撃する安芸武田氏と後詰めに来た毛利氏の両軍が激突した合戦。安芸武田氏は大敗し、当主の武田元繁をはじめ熊谷元直や己斐宗瑞、香川行景、山県備中守ら有力武将が討ち死にした。
山縣右馬助に討ち取られた「白井」は、その姓から元繁の軍勢動員に応じて従軍した安芸白井氏の一族と思われる。
有田合戦の大敗により武田氏の陣営は勢力が衰退。広島湾頭に府中や仁保島といった拠点を持つ白井氏は、大永二年(1522)以降、周防大内氏の攻勢にさらされることになる。