白井 親胤
しらい ちかたね
15世紀後半の仁保白井氏の当主。加賀守。光胤の父。武田氏の被官。近世の萩藩閥閲録に記載された白井氏家譜に挙げられた歴代当主の内、史料上で確認できる最も古い人物。
仁保白井氏の権益
明応四年(1495)十月、安芸分郡守護・武田元信は白井光胤に対し、父親胤の「安芸国仁保嶋海上諸公事」と「同(仁保嶋)飯山後浦悉大河迄」ならびに「府中散在分古市村等事」を相続することを安堵している(『安芸府中町史』資料編57 岩瀬文庫所蔵文書白井文書)。
「仁保嶋海上諸公事」とは仁保島周辺海域を航行する船舶からの「公事」(通行料)徴収権とみられる。「飯山」、「後浦」、「大河」は仁保島の地名。これらのことから、当時の仁保白井氏が仁保島を拠点にして既に周辺海域を支配していたことがうかがえる。
なお、光胤への安堵状が発給されているということは、親胤はこのとき既に隠居ないし死没していたと思われる。