仙崎屋 又衛門

せんざきや またえもん

 戦国期、温泉津に屋敷を持っていた商人。日本海水運に関わっていたとみられる。毛利氏に対する尼子氏の富田城篭城戦中(永禄四年から永禄九年)に、杵築の御師で有力商人であった坪内重吉(石田二郎右衛門尉)に宛て、篭城していた温泉津の国人・温泉英永、彦二久長が連署で送った書状にその名がみえる。

温泉津に屋敷を持つ商人

  温泉英永と彦二久長は、重吉が両名の依頼で行った杵築大社への(戦勝)祈念を感謝し、温泉津の「せんさきや又衛門」の屋敷一ヶ所を永代給与することなどを約束している。この「せんさきや」は日本海に面した長門国北岸の要港・仙崎に由来する仙崎屋とみられ、その名から仙崎方面との流通、日本海水運に関わっていたことが推測される。また、屋敷の支配権を温泉英永らが握っていることから、仙崎屋は、彼らの被官であったのだろうか。

温泉英永のネットワーク

 上記の書状のように温泉英永は杵築の坪内氏と関係を有していた。また石見銀山にも知行地を持っており、温泉津を中心として日本海沿岸部に広域のネットワークを形成していたとみられる。仙崎屋はそのような温泉氏のもとで水陸の交通に関わり、商業を営む商人であったのかもしれない。

関連人物

  • 温泉英永

その他の関連項目

参考文献

  • 岸田裕之 「大名領国下における杵築相物親方坪内氏の性格と動向」(『大名領国の経済構造』) 岩波書店 2001