坪内 重吉

つぼうち しげよし

 戦国期、杵築大社の参詣宿である室を経営していた有力商人。次郎右衛門尉。複数の有力者と檀那契約を結ぶ御師であり、同時に杵築の支配者・国造千家氏や戦国大名・尼子氏のもとで「商人伯(司)」として杵築周辺の商人を統轄した。

御師としての活動

  重吉が富田城に篭城した際、その功に報いるため、尼子氏家臣・牛尾久清は「杵築参宮之時」には重吉の室を宿とすること、末代まで杵築大社への祈念は重吉に依頼することを約束している。この事例が端的に示すように、重吉は杵築大社の御師として檀那の祈念を行い、同時に参詣宿を経営していた。

  重吉は石見の国人・温泉英永から富田城篭城中に祈念の依頼を受けるなど、他にも多くの檀那を抱えていたとみられる。

特権商人

 永禄元年(1558)、重吉は千家慶勝から「杵築祐源大物小物親方職」に任じられている。その職掌は先年に重吉の子・孫次郎が任じられた「杵築相物親方職」と同内容のもので。杵築周辺の商人らを統轄し、「有様役」を徴収して納付することが義務付けられている。

 重吉のこの親方職については永禄七年(1565)にも「商人伯」として尼子義久奉行人から保障されている。この時は毎年百駄分の荷物の関料免除も認められており、商品、物資を各地に運搬する商人としての側面がうかがえる。

 以上のように重吉は尼子氏、千家氏から多くの利権を得ていた。そのため富田城篭城戦や尼子勝久の蜂起に際しては、いち早く参陣して尼子方として戦っている。

関連人物

  • 坪内孫次郎
  • 坪内宗五郎
  • 坪内彦兵衛尉
  • 千家慶勝

その他の関連項目

参考文献

  • 岸田裕之 「大名領国下における杵築相物親方坪内氏の性格と動向」(『大名領国の経済構造』) 岩波書店 2001