黒田 高政

くろだ たかまさ

 六角佐々木氏の家臣。黒田重隆の父。戦国末期、羽柴秀吉に属して活躍した黒田官兵衛尉孝高の曽祖父にあたる。右近太夫。

福岡・妙興寺にある黒田家の墓。
備前福岡の妙興寺にある黒田家の墓。

近江源氏佐々木氏の家臣

 高政については、近世に編纂された『黒田家譜』以外は詳しく触れられていない。『家譜』によれば、黒田氏は元来、近江源氏・佐々木氏の末流で、近江国伊香郡黒田邑を本拠として、宗家・佐々木氏に代々仕えたという。

備前福岡へ移住

  永正八年(1511)、高政は近江守護・佐々木高頼に従って山城国船岡山の合戦に臨むが、このとき軍令に背いて先懸けしたため、将軍・足利義稙の勘気にふれてしまう。高頼の詫び言でなんとか罪を免れたものの、これをきっかけに高政は同族の加地氏や飽浦氏を頼り、幼い嫡子・重隆とわずかな郎党を伴って備前福岡へと移り住んだという。

福岡での黒田氏

  福岡に移り住んだ後の高政については不明だが、当時の福岡は備前屈指の商業都市であり、高政もまた商業に従事したのではないかと推定されている。後年、福岡を離れて播磨国に移った重隆が、家伝の目薬「玲珠膏」を売り、金融事業も行っていたと伝えられることから、高政が福岡で何らかの経済活動を行っていた可能性は高い。

 大永三年(1523)、高政は福岡で病死し、大永五年には重隆も福岡を離れる。しかし黒田氏にとって福岡は重要な地であったようで、慶長六年(1601)、孝高の子・長政が筑前一国を与えられ、博多に隣接して新たに城を築いた際、高政の故地・福岡の名を取って福岡城と名づけている。

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関連人物

  • 黒田重隆:高政の子。

その他の関連項目

参考文献

  • 福川一徳 「中津入部以前の黒田氏」 (『西南地域史研究 第11輯』 文献出版 1996)