蔵田 清左衛門尉
くらた せいざえもんのじょう
戦国期の享禄三年に京都から越後への使者となった人物。上杉氏の御用商人・蔵田五郎左衛門の同族か。
京都と越後をつなぐ使者
蔵田清左衛門尉の名は、上杉氏の在京雑掌(京都駐在官)・神余実綱が享禄三年(1530)二月二十六日付けで上杉氏家臣・大熊政秀に宛てた書状にみえる。実綱は上杉氏の駐京外交官として京都で朝廷や幕府との折衝、周辺諸国の情報収集などを担っていた人物。このときは大熊政秀に「唐織物事」や「備後砂事」、「御誂候御烏帽子」等の調達の首尾、「京都隣国」の情勢を報告し、最後に現在の京都の状況については、蔵田清左衛門尉に伝えてあるので省略する旨を記している。
神余実綱の書状から、このとき蔵田清左衛門尉が実綱の使者として越後に下り、担当者に詳細を直接報告する任務を帯びていたことが窺える。彼の同族とみられる蔵田五郎左衛門も、青苧の公用(関税)をめぐって京都の公家・三条西実隆と交渉しており、清左衛門尉もまた越後と京都とを往復して商業活動を行う商人ではなかったかと推定されている。