茶壷「玉蟲」
たまむし
中国南部で製作された褐釉四耳壷で、茶道具の「大名物」の一つとなった茶壷。
将軍・足利義政が収集した「東山御物」で、底部に義政の同朋衆で唐物奉行であった相阿弥の花押がある。幕府が行った遣明貿易により、中国から輸入された製品の一つと思われる。義政の死後は堺の商人・銭屋宗納、茶人・山上宗二などに伝わり、後、豊臣秀吉の所有となる。そして慶長の役のとき、毛利秀元が秀吉から拝領し、長府毛利家に伝えられた。
釉薬が二重掛けの斑で、「月」と呼ばれる丸い部分があり、左肩から下方にかけて「雲」または「なだれ」とよばれる釉薬の濃い流れがある。また胴部の長石が良く融けて吹き出して流れ星になっており、全体として景色を表すような模様となっている。口を覆う包み布はベトナム産といわれ、この玉蟲と呼ばれる壷が日本に伝わっていることも含めて東アジア各地のつながりを感じさせる茶壷といえる。