燧石銃

すいせきじゅう

 16世紀半ば、ヨーロッパで開発された小銃。火打石を鋼鉄にあてて発火させる燧石式発火機により着火する。従来の火縄式(マッチロック)に比べ、発射速度(次弾発射までに要する時間)がすぐれ、歯輪銃(ウィルロック)よりも故障しにくく、安価であったためヨーロッパ各国で採用された。

  日本にも意外に早く入っており、天文十八年(1549)、宣教師フランシスコ・ザビエルが山口を訪れた際、大内義隆に「三つの砲身をもつ贅をこらした燧石銃」を贈っている。これはポルトガルのマラッカ長官が日本国王への贈り物として用意したもので、当時のヨーロッパでも最新のものだったと思われる。

 しかし、この燧石銃が日本で普及した形跡はない。佐竹氏の家臣が記した『大和田近江重清日記』では文禄二年(1593)七月三十日に黒船を見物して「火縄いらざる小鉄炮」を見て、同年八月七日には「ナンバン筒」を所望するため名護屋に遣わされている。にも関わらず「気にいらずにつき帰る」と、この燧石銃とみられる「ナンバン筒」に興味を示していない。

  燧石銃は、発射速度に優れる反面、点火時の衝撃により照準がぶれるため命中精度が火縄銃に比べてかなり低いという特徴があった。これは弾幕を張り、敵の行動を拘束するというヨーロッパ的運用法では大きな問題とはならなかったが、一発必中を基本とする日本的運用法にはあわなかったためではないか、と宇田川武久は著書の中で推測している。

その他の関連項目

参考文献

  • 宇田川武久 『歴史文化ライブラリー146 鉄砲と戦国合戦』 吉川弘文館 2002