大津
おおつ
琵琶湖南西岸に位置し、坂本、堅田などと湖北から琵琶湖水運で運ばれる物資の陸揚げ港を担った港町。同時に園城寺(三井寺)や石山寺の門前町でもあり、多くの人口を抱える消費地として栄えた。
大きな港町
13世紀初頭には大津市と呼ばれる絹布も購入できる定期市が立っていた。また仁治三年(1242)には園城寺領有の大津西浦でおこった火災により千余軒が焼失したと伝えられている。物資が集まり、多くの人間が居留する当時の大津の様子がうかがえる。
大津の運送業社
中世、京都には各地の荘園から多くの貢納物が送られているが、日本海沿岸諸国の物資は海路で小浜や敦賀に運ばれ、そこから琵琶湖水運を経由して坂本や大津に集められ、陸路で京都に運ばれた。そのため坂本や大津には、物資を管理する問が成長し、運送を業務とする馬借や車借が拠点をおいて活動していた。
応永二十五年(1418)六月、新関設置に抗議する数千の大津馬借が京都祇園社の山徒円妙坊に押し寄せた。彼らは神輿振りを行っており、その実力とともに、背後に延暦寺や日吉大社ら山門勢力がひかえていたことを推測させる。
城下町の形成
天正十三年(1585)、坂本城主・浅野長政は大津に城を築いて本拠を移転。大津をその城下町として再編成する。大津にはかつての城下町・坂本からも町が移転させられてに坂本町や石川町などが建設されており、坂本の繁栄を吸収する形で近世都市へと発展する。
神社・寺院
- 園城寺
- 石山寺
城郭
- 大津城
参考文献
- 綿貫友子 「中世の都市と流通」 (『日本の時代史11 一揆の時代』) 吉川弘文館 2003