興津

おきつ

 駿河湾西岸、興津川河口部近くに位置し、中世、水運活動を展開した興津氏の本拠として、同氏水運の基地を担った港町。

 永禄十一年(1568)六月、今川氏真が浅間神社先達・榊大夫に発給した過所(役銭免除の書状)に記された船関には、江尻、蒲原とともに、同じ興津郷に含まれる清見寺がある。このことから清見寺、ならびに興津が江尻や蒲原とならんで通航上の要衝にあったことが分かる。

 興津を本拠とした興津氏は、13世紀前期以来、興津を知行していたことが知られる。文亀元年(1501)頃に推定される今川氏親書状写によれば、氏親は興津彦九郎に対して興津郷十艘の舟役のうち五艘分を免除するとしている。これは彦九郎の舟役免除申請に対して発給されたものだが、興津氏が興津郷の船持を掌握し、彼らとともに海上活動に従事していることがうかがわれる。

 16世紀の興津氏は興津の他にも臨海部に位置する遠江国村岡郷西方を知行しており、さらに永禄五年(1562)正月には今川氏真から興津摂津守に対して遠江・浜野浦に繋留している新船一艘についての諸役免除が認められている。つまり興津氏は今川氏領国の沿岸各地に複数の拠点を持ち、今川氏の保護を受けつつ、廻船を率いて商いや軍役などの海上活動を行っており、興津は同氏の活動の中心基地を担っていたと思われる。

人物

  • 興津摂津守

城郭

  • 興津城

参考文献

  • 綿貫友子 『中世東国の太平洋海運』 東京大学出版会 1998