甲浦

かんのうら

 阿波国との国境に隣接する土佐国の東端の港町。土佐国の玄関口として畿内と土佐湾沿岸地域を結ぶ海陸の要衝にあった。

土佐と畿内の結節点

 10世紀前半、土佐守の任を終えた紀貫之は浦戸、奈半利(直利)、甲浦などを経て京都に帰還している(『土佐日記』)。また応仁二年(1468)、土佐幡多郡に下向するため堺を立った一条教房も大平氏の大船で甲浦から井ノ尻まで航行しており、甲浦が土佐中央部と畿内を結ぶ海路の要港であったことがわかる。

畿内との水運

 文安二年(1445)における関税台帳である『兵庫北関入舩納帳』によれば、この年、甲浦船の兵庫北関への入港が26回記録されており、これは土佐国最高回数である。土佐国の船籍地で他にみえるのは直利、佐喜浜(先浜)、安田であるが、いずれも土佐東部の安芸郡の港であり、この地域が畿内と密接に繋がっていたことがうかがえる。

 またこの地域の船の積載品は全て材木、もしくは木材の加工品である榑(くれ)だった。安芸郡の経済が木材に大きく依拠し、甲浦をはじめとする各港から積出されていたことがうかがえる。

城郭

  • 甲浦城

参考文献

  • 『高知県の歴史』