神奈河
かながわ
内海(現・東京湾)西岸、帷子川の河口に開かれた港町。中世後期、品河とならぶ内海の主要港として栄えた。
宿場町
中世における神奈河の港湾部は帷子川河口部北岸の芝生にあったとされ、そこから青木など滝ノ川河口部にかけて都市空間が形成されていたとされる。芝生は、「武州芝宇宿」や「かたびらの宿」として南北朝期から史料上にみえる宿場町でもあり、神奈河が海陸の交通の要衝にあったことがうかがえる。
帆別銭の徴収
永和四年(1378)、円覚寺仏日庵造営のための帆別銭徴収が品河と神奈河の関でなされ、明徳三年(1392)以降は金沢称名寺金堂の修造料に転用されていることが『武蔵国品河・神奈河両湊帆別銭納帳』から分かる。帆別銭は両湊に入港する船舶から徴収されたとみられ、品河に伊勢国からの船も来航していたことから、神奈河にもこれらの船が集まり、活況を呈していたと思われる。
室町・戦国期の繁栄
室町、戦国期の神奈河には有力な有徳人も存在した。山内上杉氏(神奈河を支配下においていた)の家臣・奥山氏や、熊野の檀那である深楢氏、永正十五年の『道者日記』にみえる端山氏、矢野氏などが挙げられる。都市的な発展もしており、文明十七年(1485)、万里集九は『梅花無尽蔵』に板屋が連なる神奈河の様子を記している。
神社・寺院
- 熊野社
- 洲崎社
- 本覚寺
- 宗興寺
- 成仏寺
人物
- 矢野憲俊
- 端山国重
- 新四郎
その他の関連項目
- 神奈河の鍛冶
参考文献
- 綿貫友子 『中世東国の太平洋海運』 東京大学出版会 1998
- 千野原靖方 『戦国期江戸湾海上軍事と行徳塩業』 岩田書院 2001