瀧蔵権現(天石勝神社)

たきくら ごんげん

天勝石神社本殿。現在のものは天正九年(1581)に焼失した本殿を益田元祥が大檀那、その父・藤兼が後見となって再建した。
天勝石神社本殿。現在のものは天正九年(1581)に焼失した本殿を益田元祥が大檀那となって再建した。

 益田本郷の産土神・天石勝命を祀る神社。

 神亀二年(725)に創建されたと伝えられ、『延喜式』にもその名がみえる。当初は社殿は存在せず弁天地の背後にある注連岩と呼ばれる断崖を崇拝していたといわれる。なお「天石勝神社」は明治以降の名称で、それ以前は「瀧蔵権現」と称した。

  承平元年(931)、別当寺として真言宗・瀧蔵山勝建寺が建立される。中世、益田氏から大きな支援を受けており、社殿も南北朝期頃に創建されたか。天正九年(1581)、本殿が焼失するが、すぐさま益田藤兼・元祥父子のもとで再建されている。

 

島根県益田市染羽町

 

Photos

天勝石神社本殿。

関連人物

  • 益田元祥
  • 益田藤兼

その他の関連項目

参考文献