薩摩屋 宗忻
さつまや そうきん
和泉堺の町衆。「薩摩屋」という屋号から、同じ屋号を持つ茶人・山上宗二の一族である可能性がある。
名物を所持した茶人
宗忻もまた多くの名物を所持した茶人であり、『山上宗二記』には宗忻所持の名物として「珠光茶碗」や中国南宋の画家・趙昌による「菓子の絵」、花入「蕪無(かぶらなし)」などがみえる。
天文十一年(1542)四月七日、宗忻は奈良の塗師である松屋久政らを招いて茶会を催している。『松屋会記』には「珠光茶碗ニテウス茶アリ」とあるので、『宗二記』にも載せられた「珠光茶碗」が用いられたことが分かる。なお、宗忻のものとは別であるが、三好実休は千宗易が所持していた「珠光茶碗」を千貫で手に入れており、非常に珍重された名物であった。
九州との交流
宗忻が所持していた「珠光茶碗」は、その後宗忻から九州筑紫の人物に渡ったという(『宗二記』)。「薩摩屋」の屋号から推測すると、宗忻は薩摩など九州方面から来る商品を扱う商人であったと考えられるので、「珠光茶碗」もこのような商売上の関係の中で、九州の富裕な商人、または有力大名に売却(あるいは進上)されたのかもしれない。
花入「蕪無」もまた、以前は大内義隆の家臣・相良遠州(相良武任か)が所持していた。大内氏は周防・長門を中心に九州北部までを支配していた有力大名であり、宗忻が九州方面の有力者らと茶道具をやり取りできる関係にあったことがうかがえる。
織田信長への接近
また宗忻は上洛してきた織田信長に接近を試みている。趙昌筆の「菓子の絵」は先述の天文十一年(1542)四月七日の茶会でも掛けられており(『松屋会記』)、宗忻お気に入りの絵であったとみられる。宗忻はこれを織田信長に進上していることが『宗二記』にみえるのである。
関連人物
- 山上宗二
- 松屋久政
- 織田信長
- 相良武任:大内家臣。遠江守。肥後の国人・相良氏の一門であるとされている。
その他の関連項目
- 「珠光茶碗」(薩摩屋宗忻所持)
- 「珠光茶碗」(三好実休所持):千宗易から三好実休に千貫で売却された。
- 趙昌筆「菓子の絵」(薩摩屋宗忻所持):葡萄など七種の菓子(果物)か描かれた絵画。趙昌は南宋の画家。
- 花入「蕪無」(天王寺屋宗及所持):薩摩屋宗忻が所持していたが、後に天王寺屋宗及の手に渡る。
参考文献
- 熊倉功夫・校注 『山上宗二記 付茶話指月集』 岩波書店 2006