三井 元助
みつい もとすけ
長門国阿武郡大井浦の船頭。弥左衛門尉。
諸浦通行料の免除
天文二十三年(1554)夏から、元助は温泉津において船一艘を用いて大内氏の「御用」の為にたびたび馳走した。天文二十四年十一月、大内氏に賞され、「諸浦」を通過するにあたり八端帆の船一艘分の通行料を免除されている。
元助は弘治二年(1556)三月から大内方として所々で合戦にも参加。十一月、阿武郡代とみられる僧侶「禅興寺」の推挙もあり、これらの活躍が大内義長に披露された。大内氏奉行人の吉田興種、小原隆言、内藤隆世の三名が連署でもって、元助のこれまでの働きに必ず報いるとする義長の意を伝えている。
吉見氏による安堵
大内氏滅亡後、大井郷は石見西部の有力国人吉見氏の支配下となった。永禄元年(1557)九月、元助は吉見頼実から大井郷内の屋敷を安堵されている。その後、元助の子とみられる実助も、吉見氏に仕えた。
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関連人物
- 三井実助:元助の子か。
- 大内義長
- 禅興寺:大内氏の阿武郡代。
- 吉見頼実:吉見氏の一族。当主正頼の兄にあたる。大井郷の支配に関わっていた。
その他の関連項目
参考文献
- 和田 秀作 「「阿武郡大井浦三井文右衛門所持判物写」について」(『山口県文書館研究紀要』第33号) 2006