来島村上氏
くるしま むらかみ し
伊予国高縄半島と大島の間(来島海峡)に浮かぶ小さな島・来島を本拠とした海賊衆。戦国期、瀬戸内海で能島村上氏とならぶ実力と勢力を誇った。
能島や因島の同族と比べて河野氏の影響力が大きく、同氏の重臣的な立場にもあった。
河野氏や毛利氏にとっては味方水軍の主力の一角を担う重要な存在であったが、織田氏との戦争の中で天正十年(1582)に織田方に転向。この裏切りに激怒した毛利・河野両氏の猛攻を受けて一時は滅亡寸前まで追い詰められる。その後、豊臣政権下では勢力を拡大し、村上諸氏の中で唯一、江戸期に大名家として存続することになる。
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当主
- 村上通康
- 村上通総:村上通康の子。通昌とも。慶長の役で討死。
- 村上康通:通総の子。
一門
- 村上右衛門尉:弓削島荘の所務職。
- 村上治部進:右衛門尉の子。
- 村上図書助
- 村上和泉守 :天文二十三年の「来島家の兵乱」の際、周防大島屋代村宮之坊の涅槃像を家来が持ち去ったという。
- 村上吉継:甘崎城主。通康亡き後の来島村上氏を支えた一門の重鎮。
- 村上吉郷:吉継とならぶ来島村上氏の有力者。
- 村上右京亮
- 村上吉賢 :村上通康の弟。
- 得居通幸:村上通総の兄。文禄の役で討死。
- 村上吉清:村上通総の弟。通総の死後、康通を後見した。
- 村上武備:通康から二神氏への使者として派遣された。
- 村上景房:村上吉継の孫。毛利氏、細川氏を経て紀州徳川家に仕えた。
家臣団
- 下嶋親忠
- 桧垣長兵衛
- 桧垣孫兵衛尉
- 二神種則
- 二神修理進
- 原興生