鉄砲(倭寇)

てっぽう

 16世紀、東アジアでの貿易に従事した倭寇によって日本にもたらされた鉄砲。

 福建省などの中国海商を中心とする倭寇は、当時、銀を求めて日本各地に来航していた。その際の主な交易品として硝石や硫黄といった鉄砲の玉薬の原料が知られているが、鉄砲そのものも運んだとみられる。

  当時、朝鮮王朝は明との朝貢関係上、朝鮮半島に漂着した明船(荒唐船)は拿捕して乗員を本国に送還していた。銀を求める中国海商が日本に押し寄せるようになると、朝鮮への漂着も急増し、中には火砲を放って朝鮮海軍に抵抗するものも現われるようになる。

 『朝鮮王朝実録』によれば、福建省の国禁を犯した者たちを送還したとき、朝鮮国王は「今、また馮淑ら前後とも千人以上を捕らえたが、彼らは軍器と貨物をもっている。これ以前、倭奴(日本人の蔑称)は火砲がなかったが、今では多くこれをもっている。」と明政府に報告している。長年日本の倭寇に苦しめられた朝鮮王朝は、国禁を犯す中国海商の活動で日本人に多くの火砲、つまり鉄炮がわたっていることを警戒しているのである。

  この時期、朝鮮王朝はかなりの数の明人を保護したが、彼らは一様に軍器を所持していたという。この軍器に火砲が含まれているならば、朝鮮に漂着しなかった大部分の中国商船は積載した火砲(鉄炮)を日本で売りさばいたと考えられる。明宗三年(1547)の記録には、すでに福建人が倭奴と交通して、彼らに兵器を与え、かつ火砲の撃ち方を教えたことが記されている。

人物

  • 王直:倭寇の頭目。五島や平戸にも拠点を持った。種子島への最初の鉄炮伝来にも関わったとされる。
  • 李王乞:中国福建省の商人。

その他の関連項目

  • 南蛮筒:海外から輸入された鉄炮。

参考文献

  • 宇田川武久 『真説 鉄砲伝来』 平凡社 2006