鯛(相模湾・江戸湾)

たい

 古くから良質の漁場であった江戸湾や相模湾で水揚げされ、上流層の贈答や饗応などに用いられた高級魚。戦国期、北条氏は小田原周辺から「御台所船」役として鯛、鮑などの海産物を定期的、臨時的に上納させている。

 鯛は戦国期当時、ハレの場における食膳で多く使われる高級魚だった。北条氏も例えば天正八年(1580)五月、遠江(徳川氏)からの「御客」のため、網代の「百姓中」に干鯛六十枚とスルメ五百枚を上納するように命じている。また天正十三年(1585)八月、北条氏政は須賀の「舟持中」に対し、「御陣へ之御用」のために「大成鯛」二十枚を上納するように命じている。これは、上総在陣中の氏直に贈るためのもので、鯛が戦勝の為の縁起物としての意味もあったことをうかがわせる。

 以上の用途を持つ鯛は、16世紀後半の戦争や外交の激化に伴ってその需要が増大したとみられ、北条氏は上納対象の漁村を拡大するとともに、それまで認めていた代銭納から現物納へと切り替えている。なおその際、目安として魚の値段を定めており、鯛は一尺(約30cm)一匹で十五文となっている。

  北条氏のような権力は直轄の漁村から新鮮な水産物の入手が可能であったが、鯛も一般的には干鯛など塩合物(干物や塩漬など)に加工されて流通したとみられる。北条領の藤沢や関戸郷などの市庭では「塩あい物役」が免除されており、市庭では一般的に塩合物が塩合物役を賦課されて販売されていたことが窺える。

市場・積出港

その他の関連項目

参考文献

  • 盛本昌広 「後北条氏の水産物上納制の展開」 (『日本史研究』359) 1992