酒(厳島)

さけ

 厳島神社の門前町において祭祀や饗応のために製造されたとみられる酒。

 文明六年(1474)八月、「酒屋之家屋敷之事」について厳島社家・野坂家久が愁訴して厳島社政所の仲裁を受けており、厳島に酒造施設があったこととともに、「酒屋」が争いの対象となる重要な施設であったこともうかがえる。

  厳島で製造されたとみられる酒は神酒として用いられ、厳島社から毛利輝元や小早川隆景に歳暮や改年の祝儀としてしばしば神酒が贈られている。

  厳島の酒は厳島社造営に関わる人夫の饗応にも大量に消費されていた。例えば永禄四年(1561)の厳島社大鳥居造立に際し、用材の切り出しなどで百俵以上の米が清酒や濁酒などの用途に計上されており、大鳥居棟上の祝儀としても大工や鍛冶衆、檜皮衆ら関係者に「樽」が配賦されている。また元亀二年(1571)の毛利元就による厳島社遷宮の棟上に際しても番匠衆や檜皮衆に多くの「樽」が配当されていることが大願寺円海の記した「厳島社遷宮礼物覚」にみえる。

市場・積出港

人物

  • 大願寺円海