木綿(駿河国)

もめん

 駿河国において生産された木綿。

贈り物に使われる

 『言継卿記』によれば、弘治三年(1557)、駿河国に滞在していた公家・山科言継は、矢部縫丞から「木綿二端」を贈られている。さらに永禄九年(1566)、京都に戻っていた言継は、駿河国の新光明寺住持・忍誉からも木綿一端を贈られておいる。当時、駿河国において贈答用にも用いられる品質の木綿が生産されていたことが分かる。

港町での木綿役徴収

  天文二十二年(1553)、駿河今川氏の御用商人・友野二郎兵衛尉が今川氏から再交付された朱印状によれば、友野氏は馬番料として木綿二十五端を今川氏に納めることを条件に、江尻、岡宮、原、沼津で「木綿役」(木綿への移出税)の徴収を認められている。今川氏領国内において、左記の港町が木綿の積出港となっていたとみられる。

 この友野氏の権利は元亀元年(1570)、駿河に進出してきた武田氏にも「木綿之役」として認められている。今川氏、武田氏がそれぞれ「木綿役」、「木綿之役」として特別に挙げていることから、駿河において木綿が重要物資の一つであり、戦国大名にとっても確保の必要性が大きいものであったことがうかがえる。

市場・積出港

人物

参考文献

  • 永原慶二 『芋麻・絹・木綿の社会史』 吉川弘文館 2004