金(蝦夷)

きん

 中世から17世紀前半頃にかけて蝦夷地(北海道)で採掘された金。

アイヌの交易品

 慶長十八年(1613)、イギリス人のジョン・セーリスは、蝦夷が島の住民について「銀や砂金を沢山持っていて、それを払って日本人から米やその他のものを得る。米と木綿衣は最も要求せられる。」と記している(『ジョン・セーリス日本航海記』)。17世紀初頭の記録であるが、16世紀以前にも遡ってアイヌが和人との交易の対価として砂金を用いていた可能性は高いとみられる。

松前氏による金山開発

  17世紀、金山開発が活発化する中の慶長十三年(1608)、徳川家康は佐渡奉行・大久保長安に命じて金山を調査する「鉱山師」を松前に派遣している。この時は幕府の蝦夷地への介入を恐れる松前藩主・松前慶広によって、金山開発は拒否された。

 しかし、元和二年(1616)に公広が跡を継ぐと、藩は知内川流域を中心に金山開発に着手し、元和六年(1620)には幕府に金百両を献上して金山の権利を得る。さらに移住規制を緩和して採掘者を募ったため、一攫千金を狙う人々が松前に押し寄せ、宣教師アンジェリスの報告によれば、その数は八万人にものぼったという。このゴールドラッシュともいえる和人の金山開発、および自然破壊が後のシャクシャインの蜂起につながったともいわれる。

オランダのジパング探索

  蝦夷地の金の噂は日本の鎖国強化を不安視していたオランダをもひきつけた。同国は蝦夷地の調査と「カタイヤ王国」への航路開拓、および「金銀島」(ジパング)発見などを目的として1639年と1643年に探索艦隊を派遣している。

市場・積出港

参考文献

  • 海保嶺夫 『エゾの歴史 北の人々と「日本」』 講談社 1996
  • 宮崎正勝 『黄金の島 ジパング伝説』 吉川弘文館 2007